釣果に固執すればルアーフィッシングは本質を失う

   


近年の日本のバスフィッシングは、以前よりも魚が釣りにくくなったことで、ルアーを小さくしたり、釣りをスローにしたり、とにかく釣果を出す事を徹底する流れがあります。

その結果、いくつかのメディアでは『釣りがつまらなくなった』という声を聞く様になりました。

この様な声は現在のところバスフィッシングばかりが言われてますが、

今後様々な種類の魚立ちが減り続けることを考えれば、『とにかく一匹釣りたい』と考える釣り人が増え、その他の釣りも多くがバスフィッシングの様にフィネスな方向へ向かっていくはずです。

私が子供の頃にルアーフィッシングの代表として紹介されていた魚種達

この流れは、既にバスフィッシングだけでなく多くのルアーフィッシングにも波及しています。

僕等が子供の頃に購入したルアーフィッシングの専門書は、主にバス、トラウト、シーバスをルアーのターゲットの主として取り上げていました。これらの魚種はルアーターゲットそしての歴史が比較的長いため、ナマズやロックフィッシュといった他のターゲットと比較しても、釣りにおけるノウハウが成熟しています。

しかし現在では、

・バス→細糸を使ったワームの釣り
・シーバス→ルアーを動かさずに流すドリフトの釣り
・トラウト→マイクロルアーの遅巻きの釣り

といった様に、私の少年時代のルアーゲームの主力だった人気ターゲット達は、今では以前よりも遥かにフィネスな釣法で釣られる様になり、最も食いの良い方法を皆んなが目指す様になりました。

ルアーフィッシングの本質は効率を捨てたロマンである

しかし私は思うのですが、そもそもを辿れば、ルアーフィッシングとは“ルアーで釣る”と言う楽しさと引き換えに餌釣りよりも釣果を落とすことを受け入れた釣りです。

言ってみれば、

楽しさを優先した非効率な釣りと言えます。

ルアーフィッシングの本質は『餌よりも釣果は落ちるが、それでもルアーで釣りたい』という非効率を受け入れたロマンにあると僕は思ってます。

そのルアーフィッシングに僕等釣り人が釣果の最大化を求めれば、その釣法は限りなくエサ釣りに近づき、現在の様なフィネススタイルが主流となるのは自然な流れですよね。

近年、様々な種類の釣りの中で、まず先にバスフィッシングが先頭を走ってフィネス化へ向かったのは、トーナメンターが業界をリードするというバス釣り特有の文化によるものでしょう。

本来“釣果ダウンと引き換えのロマン“であるルアーフィッシングと、釣果の最大化を目指す競技の釣りは、何を重視するか?という部分において『非効率』と『効率』という完全に対極に位置しています。

そんな中で、業界全体に効率の釣りの代表である“トーナメンター”を手本とする文化があるなら、バス業界は他魚種の業界よりも足早にフィネス化、餌釣り化が進むのは必然といえます。

ルアーフィッシングの本質に立ち返る

この様な背景から、僕らルアーフィッシングを行うものとして、

ロマンの最大化を目指すのか?釣果の最大化を目指すのか?

自分はどちらをどれほど優先したいのだろうか?という事をある程度明確にしておく事が釣りライフを楽しむ上では重要なのでは無いかと思っています。

僕の場合は、ワームで10匹釣るより、効率は落ちてもマイブームのルアーで何とか一匹を絞り出したいという、自分のスタイルを明確に見つける事ができています。

もし、私と同様に「ルアーフィッシングの楽しみ方を最大化したい」というのであれば、競技の釣りから学ぶのはあくまで魚を釣るエッセンスであり、それよりも自分が最も楽しいと感じる場所、道具、スタイルを日頃の釣りを通して見つけ出していく事が一番の近道だと思います。

魚が全く釣れない日に釣果を出す事を諦めキャスト練習をしたこと、好きなルアーを泳がせて遊んだこと、釣りをしていた時間よりも楽しかった事はありませんか?

釣果への固執を手放した時、ルアーフィッシングの新しい楽しさが見えてくる事があります。

瞬間瞬間の『楽しさ』に敏感になり、一つ一つ拾い集めていくことで、自分が最も楽しいと感じるフィッシングスタイルが作られていく。釣りを通したそんな日常が、近年はめちゃめちゃ面白いと感じます。

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